アクアマガジンピープ誌
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[ 第1回 ]
1969年、昭和44年7月。
熱帯魚の本と言えばフィッシュマガジン(緑書房発行)しかなかった。当時のFM誌は250円、現在の大きさになるまで3回のモデルチェンジをした。
1970年代を語るのにまずこの写真を見て欲しい。
FM誌がだんだん大きくなっていくのがわかる。私は30年間FM誌を買い続けている。本が大きくなると部屋が狭くなる。 |
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[ 第2回 ]
1970年代のFM誌。
現代のアクアマガジンピープ誌と同じ大きさ。
もし今もこの大きさなら部屋は広くなり水槽の1本も余分における。
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[ 第3回 ]
1971年8月、日本に初めてアジアアロワナが入ってきた記念すべきFM誌。
アカメ、アストロは当時23歳の私が写した写真がFM誌に載った時のもの。
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[ 第4回 ]
アジアアロワナを初めて見た時は格好悪いアロワナだと思いました。
当時のアジアアロワナ仔魚の価格は当時で6000円でした。ちなみにシルバーアロワナは3000円、ブラックアロワナは8000円の値が付いていました。
私の月給が3万円位の時です。
当時の私はこのアジアアロワナを2m水槽で飼育していました。半年もたたないうちに金色に輝き、まるで黄金のコイをみているように思えました。
この時の高級魚と言えばクラウンテトラで、1匹3万円もしました。私は給料全額をはたいて買いました。当時喫茶店のコーヒー1杯60円、私が20才の時です。 |
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[ 第5回 ]
シルバーアロワナ、スポッテッドインディアンナイフ仲良し3匹。
私がバーテンダーをしていた時、スナック店内で写した写真です。
シルバーアロワナはバンドフィッシュと呼ばれていました。
今と違ってクリルがなく、餌といえばネオンテトラ、グッピーの仔魚を与えて大きく育てました。(アロワナの仔魚は冬に入荷していたため) |
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[ 第6回 ]
本の表紙を飾った熱帯魚達。
シノドンティスアンジェリクスが1匹10万円。飼育していればビッグニュースになった時代。アフリカ産の魚が高価でした。
ジムナークスなどは家の宝物でした。 |
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[ 第7回 ]
1970年4月、初入荷のゴールデンエンゼル。熱帯魚ショップでは1Pr.3万円で販売されていました。
当時の私はカリーナHT、177クーペ、セリカLB2000GTと乗り換え、最も気に入っていたカリフォルニア仕様フェアレディZ2by2に乗り換えた頃でした。 |
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[ 第8回 ]
アストロは今も人気のものです。いつのまにかオスカーと言う名前になっている。当時ゴールデンアストロ(現レッドオスカー)初入荷の時、私は2匹を3万円で購入。繁殖の簡単なアストロだから(エンゼルも同じ)値崩れを起こすのがはやい。半年も経たないうちに3万円が3000円、そして500円にまで落ちた。とても残念。
この写真の中にはとても残念な思い出、ギャンブルに負けたような思い出、ハラハラするような思い出が沢山あった。ゼブラキャットの死、コロソマのフライも写っている。ピラニアの水槽にコロソマも泳いでいる。当時の高級魚も今は人気がなく、寂しい思いがする。
レポリヌス・ファシアタス
ピンクテール・カラシン
アノストムス
レッドアイ・カラシン
パイクカラシン
ミロソマ
エレファントノーズ等最近は余り見かけなくなったネ。 |
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[ 第9回 ]
ゴールデンアストロには面白い思い出がある。
よく馴れるので、ある時、イルカに餌をやるようにしてジャンプを教えてみた。この本を読んでいる読者も一度試してみては?だたし、金魚を食えた後水しぶきで周りが水浸しになりますよ。
アストロの水槽を掃除している時、私の手を噛みに来るので一番大きなキスゴムをアスロトのオデコにくっつけたら、くっついたまま泳いでいた。 |
辛い思い出もある。待ちに待ったスポッテッドガー40cmは当時のお金で2万円。ブラックコロソマのいる2m水槽に入れた時の事だった。ブラックコロソマは55cmある。いつもデカイ口を開けて泳いでいる。その口の中にガーパイクの口が入った。あっと思った瞬間、ガーパイクのくちばしがまるで割り箸が折れるように折れてなくなった。それをコロソマが食べて本当のショートノーズガーになってしまった。
2m水槽を仕入れる前は45cm、60cm、90cm、120cmなどのガラスの水槽で飼育していた。今のように上部ろ過槽もなく底面フィルターだった。水換えが大変で、魚をバケツに入れて全部の砂利を出してその下の底面フィルターの中の汚れを掃除していた。
水もれをした時は今のようにシリコンがないので応急処置として、フーセンガムを噛んでやわらかくなったものを水もれしている所に張りつけ、ビニールテープで張った。
ヒーターもサーモスタットもガラス管でした。ピラニアに割られ、ピラルクに割られ、水槽内には電流が流れるという危険な思いを何度もしました。
危険な事は続くもので、ある時コケの生えたヒーターコードをクラウンテトラにかじられた事がある。まるでネズミがかじったみたいに。これには私もびっくりした。
ピラニアがヒーターコードを噛み切る。エアホースを噛み切る。水槽内の事故が次々おこる。この経験がのちの2m水槽飼育に大変役立つ事になる。
当時の2mのアクリル水槽は軽自動車が1台買える価格でした。夢を実現するために全財産をはたき購入したこの水槽があるからこそ、30年間熱帯魚を飼育することができ、それは今も続いています。
1971年3月・・・天地真理の「水色の恋」、小柳ルミ子の「私の城下町」がヒットしていた頃です。
本の中の珍しい魚を紹介しよう。
赤い覆面をかぶった魚を良く見て欲しい。何かの実験をしている所です。 |
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[ 第10回 ]
珍しい金色のガーパイクも写っています。 |
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[ 第11回 ]
現在に戻っての写真です。アリゲーターガーを手に持っている美紀ちゃんは、私が持っている熱帯魚の載った本が発売された頃生まれました。アリゲーターガーは成長が早く、1日に7mmづつ大きくなっていった。2年間、日本の池で冬を越してカエル、フナ、エビを食べて大きくなったものです。
エチオピクス1m40cmあります。8年かけて、渡辺勝徳氏が大きくしたものです。
ピラルクをみんなで食べるためにさばいている所です。写真が小さなムシ眼鏡で見て下さい。
1977年(昭和52年)、私は熱帯魚店にいる全ての熱帯魚を飼育してしまって、もう飼育する熱帯魚はいなかった。今のように次から次へと新着魚が入ってこない時代である。現アグアプロダクション会長がいなかったら、もう熱帯魚の飼育は止めていたかも知れないと、私は思う。 |
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[ 第12回 ]NEW!!
この時点(昭和52年)で、私は今まで飼育していた全ての熱帯魚を手放した。
ピラルクもクラウンテトラもシルバーアロワナもBアロワナもコロソマ、オスフロ、ナイフそしてアジアアロワナも全部手放した。
残るはピラニア!!そろそろ本題に入るとしよう。
仁義なき戦い。この頃映画の中でピラニア軍団という言葉が流行った。そう、ピラニア「郡団」じゃなく「軍団」です。
当時の私は20匹ほどのピラニアを飼育していたが、満足できなかった。誰にも負けないぐらいの数を飼ってやろうと思っていた。小さな水槽じゃなくデカイ水槽で。
そして1977年5月25日ピラニア軍団200匹私の元へやって来た!! |
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